青い空の下、私らを乗せた舟は順当にトクトウム島に向かっていた。
向かっていたというか、もう着く。
私がフッと意識を取り戻したのは、そんな時だ。
「如何なさいました?クィンツ様。」
祝子(ヌルン)のシャナが私の様子が変わった事に気がついたようだ。
「ん。ちょっと戻って来たの。」
「戻って来た?」
「今、トクトウム島の神様たちと話つけて来たのよ。」
「はあ…。」
シャナは釈然としないような声を上げる。
まぁ、言ってもわからんだろうから、それ以上の説明はしない。
そもそも私自身もよくわかってないのだから。
それにしても、なんと美しい景色だろう。
透明度の高い海は、海底のサンゴを映し、舟底が、そのまま影となって海底を進んでいる。
目前には白い砂浜が迫っている。
輝く太陽の下、世界は眩しく光っている感じだ。
頬に当たる風が心地よすぎる。
ズサァと砂をさする音をたてて、小舟は浜に到着する。
舟を操っていたムーリィが素早く飛び降り、手綱と取って舟をさらに浜に引っ張り上げる。
それからティガが飛び降り、ウィーギィ爺(ジージ)が続く。
三人でシャナを下ろし、最後に私が抱き上げられて舟から下される。
砂浜には人の気配はしない。
波の音だけの静かな感じだ。
シャナとウィーギィ爺(ジージ)が日除けの大きな葉っぱをかざしてくれる。
私たちはゆっくりトクトウムの村に向かう。
この島に来たのは二度目だ。
だから、足取りに迷いはない。
ちなみにムーリィは舟の番だから、ついて来ていない。
「これはクィンツ様。」
目的の家の前まで着くと、家人が慌てて飛び出して来た。
「こんにちわ。突然尋ねて来てごめんなさい。」
「畏れ多い。ささ、どうぞ、中へ。」
「ありがとう。なんだか騒がしいわね。」
「いえ、うちの祈女(ユータ)が神託を受けたとか。」
「神託ですか?」
シャナが祝子(ヌルン)らしく、興味を示す。
「はい。それで、家の者を呼ぶ為に少々騒がしくなっているのです。」
「なるほど。」
と、ウィーギィ爺(ジージ)が白い顎髭を撫でた。
家に入ろうとすると、ちょうどニシトウくんが帰って来た所だった。
「クィンツ様?」
ニシトウくんが驚いたように目を丸くして声を出した。
「こんにちわ。ニシトウくん。」
「ど、どうされたのですか?突然。」
「あなたこそどうしたの?慌てて帰って来たようだけれど。」
「あ、その、うちの婆(バーバ)がすぐ帰れって言うので、戻って来たんです。」
「へぇ。そうなんだ。」
「クィンツ様、とりあえず中へ。ニシトウもこんな所で引き止めるな。」
家人が促す。
まぁ、確かにごちゃごちゃ話すには家の入り口先というのは中途半端な場所だ。
入り口をくぐると、すぐ大きな声が響いた。
「神女(カンヌ)様!ようこそおいでなさった!」
土間のすぐ先の床の先で、小柄の婆(バーバ)がお辞儀をしながら叫んでいる。
「婆(バーバ)も元気そうね。先日の御嶽(オン)巡りの時はありがとう。」
「とんでも御座いません。あの時はお役に立てたのであれば幸いです。」
「ささ、どうぞ、上がって下され。婆(バーバ)もそんな所に立ってないで案内して下され。」
家人が再び促す。
私は床の先に腰掛けて草履を脱ぐ。
すかさずニシトウくんが、跪いて脇のカメから水を掬い、私の足を洗い、乾いた枯れ草の塊で拭いてくれた。
「ありがとう、ニシトウくん。」
お辞儀するニシトウくんの頰がちょっと赤くなった気がしたけれど、そこは気にしちゃダメだ。
私はペタペタとゆかの上を歩く。
家人が上座(かみざ)を指し示すので、私は遠慮なく上座(かみざ)に座る。
私に向かって左右に別れて、シャナ、ウィーギィ爺(ジージ)が座り、ティガがどこに座って良いのかわからないまま床の端の脇にちょこんと座った。
婆(バーバ)を中心にニシトウくん、家人らが私らの前に座し、平伏する。
「改めて、ようこそおいでくださいました。神女(カンヌ)様。」
平伏姿勢から頭を上げ、婆(バーバ)が声を上げる。
「歓迎ありがとう。頭(ブリャ)であるヌースの留守に訪れて、悪いわね。」
「とんでもありませぬ。神女(カンヌ)様の御心のままにおいで下され。」
婆(バーバ)は祈女(ユータ)だから、神女(カンヌ)様の威光は絶対だ。
私は苦笑する。
「今日はね…。」
「皆まで言われなくても大丈夫です。」
婆(バーバ)が私の言葉を遮る。
それはそれで、失礼になるんじゃない?
ほら、シャナの眉間にシワが寄っちゃったじゃない。
「ニシトウ」
「はい、婆(バーバ)。何でしょうか?」
「お前をクィンツ様に捧げる。すぐ支度せい。」
「は?」
婆(バーバ)の突然の宣言にニシトウくんがキョトンとする。
他の家人らも目をパチクリさせている。
「これは六山の神様の総意である。わかったら早くせよ。」
「神様の?」
家人はまだ訝(いぶか)しげだ。
だが、これ以上の不信な態度は、婆(バーバ)の祈女(ユータ)としての能力を疑う事になる。
ニシトウくんは私の顔を見て、一礼をすると、
「いま支度します。しばらくお待ちを」
と言って出て行った。
賢い子は好きよ。
「クィンツ様、察しの悪い我が家の者たちをどうかお許し下さい。」
婆(バーバ)が床に額をグリグリ音がするほど押し付けて嘆願する。
「大丈夫よ婆(バーバ)。すべて許すわ。」
「寛大なるお言葉、深く感謝致します。」
婆(バーバ)は頭を上げ、喜び一杯の笑顔を向けた。
分かりやすい素直な態度で、助かる。
私は小さく頷いてみせた。
「それじゃぁ婆(バーバ)、あと、水を頂けないかしら。喉が渇いちゃった。」
「こ、これは気付かず、誠に申し訳ありません。すぐ水をお持ちせよ!」
この島々には、まだ「お茶を出す」という習慣がない。
従って当然「茶菓子」なんてものもない。
本当に原始時代みたいなものなのだ。
私としてはこの辺りも出来るだけ早く改善したいのだが、中々難しい所だ。
改善のためには、まず人材が必要だ。
私一人でどうこうなれるものではないのだから。
と、言うことで、人材登用と育成の一環として、今日はこの島に来たのだ。
ニシトウくんには期待している。
婆(バーバ)と家人らのもてなしを受けつつ、小半刻もすると、ニシトウくんが戻ってきた。
風呂敷的な布に何がしかを包み、背負って来たようだ。
「いつでも行けます。」
と凛々しい顔でキっと言うニシトウくん。
私は頷くと、立ち上がった。
「それじゃぁ婆(バーバ)。お世話になったわ。」
「そうですな。今から出れば日が沈む前にはエーシャギークに戻れましょう。」
「慌ただしくてごめんなさいね。」
「とんでもございません。またいつでもおいで下さい。」
婆(バーバ)や家人らが頭を下げる。
私らは見送られながら来た方向を逆に移動して、海岸から舟に乗り込む。
日は西に傾っていたが、まだ空は青いままだ。
「それでね、ニシトウくん。」
ムーリィの操る舟の中で、私はニシトウくんに話しかける。
頬に当たる海風が相変わらず気持ちいい。
それだけでも、気分が高まる。
「はい、クィンツ様。」
「あなたにお願いしたいのは、教育ね。」
「キョウイクですか?」
「私はやりたい事が沢山あるの。でも、私一人では何一つ満足に出来ないわ。」
「そんな事は…。」
「そんな事はあるのよ。」
「はあ。」
「だから、ニシトウくんには協力してもらいたいのよ。特に人材育成にね。」
「ジンザイイクセイ?」
ニシトウくんが首を傾げる。
教育にしろ、人材育成にしろ、その手の言葉は「お茶」と同じく、この島々にはまったく普及してない…らしい。
いや、実は「お茶」も含め、もしかしたらナータ家では使われているかもしれない。
私やハーティ…つまりアーク家のライバルであるナータ家はなかなか侮れない。
ここ最近は、マィンツ叔母様とも没交渉な事もあって、情報が入って来ない。
だから、何か新しいモノや言葉を輸入して活用しているかもしれない。
それで、ただでさえ差がついているであろう、うち、つまりアーク家と、さらに差をつけられていたら困る。
そうそう、マィンツ叔母様と言えば…。
私は、空中で優雅に舞う裸体を思い出す。
久しぶりに会って見たいものだ。
やばい。思い出したらヨダレが…。
「クィンツ様…そのキョウイクとかジンザイイクセイとは、どのような事でしょうか?」
ニシトウくんが聞いてくる。
説明がメンドくさいな。
私はヨダレを拭きながらウィーギィ爺(ジージ)の顔を見る。
ウィーギィ爺(ジージ)は察したようにニシトウくんに応える。
「キョウイクとは、教えて育ている事でございましょう。クィンツ様は恐らく、ニシトウ様に、クィンツ様の従者見習いの子供らを教えて育てる役回りを期待しているのでしょう。」
「クィンツ様の従者見習いですか?」
「クィンツ様は20人程の従者見習いを集められたのですよ。」
と、今度はシャナが説明する。
「私はね、その子たちを賢く育てたいの。そのために賢いニシトウくんの力が必要なのよ。」
「いえ、私はそんな賢くなどありません。」
「そういう謙遜とかね。ニシトウくんはやっぱり頭一つ抜き出ているの。読み書きも出来るでしょ?」
「確かに読み書きは、少しは出来ます。しかし、ウィーギィ様なら私以上では?」
「もちろん、ウィーギィ爺(ジージ)も活用するわよ。でも手が足りないの。最初にも言ったように、私にはやりたい事が沢山あるわ。だから、賢い子も沢山必要なのよ。その賢い子を沢山作り出すための先生になるのが、ニシトウくんにお願いしたい事よ。」
「先生…ですか?私のようなものが…。」
「期待しているわ。」
私はニシトウくんの黄土色の瞳を見つめながらニッコリ微笑んでみせた。
ニシトウくんの頬が、また赤くなった。
「分かりました。お役に立てるように頑張ります。」
ニシトウくんの返事を受けながら、私は「よしよし」とほくそ笑む。
これで、私の親衛隊の未来は、少しは明るいだろう。
次はイーノ狩りだ。
「頼むわね。ニシトウくん。」
私はあれこれ計画を胸に抱きつつ、ニシトウくんの瞳を見つめ続けた。
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