朝が来た。
起こされた。
眠い。
昨夜はマィンツから奉納舞の歌を教わったのだが、これが結構ハードだった。
教え方はやんわりなのだが、ともかく、寝かせてくれないのだ。
私の寝所の家屋で、マィンツとその祝子(ヌルン)のハヌと二人して、歌を教えながら、ウトウトする私を起こすのだ。
これは結構拷問だ。
私はまだ4歳なのだ。
幼児虐待だ。
だが、これにもどうも理由があって、皆、昼過ぎから、一斉に寝るから…らしい。
何故昼間から一斉に寝るのか?というと、夕方から始まる祭りは翌朝まで行われるので、そのための体力温存処置だという。
「あなたはウォファム村の祝女(ヌル)になるんだから、慣れないと困るわ。」
とマィンツが言う。
「祝女(ヌル)はみんな夜行性なのですか?」
と私がボケながら聞くと
「そうでもないわ。ウォファム村の祀るイリキヤアマリ神が夜行性なのよ。」
と教えてくれた。
なんでも、他の御嶽(オン)の神様の祭祀は、大概昼間行うし、奉納舞とかもないらしい。もちろん歌もない。
その代わり、長い祝詞というか祈祷文というか、そういうのを覚えないといけないらしい。
「それに比べれば、奉納舞の出だしの時だけ、ちょっと歌うイリキヤアマリの祭りの方が楽ですよ。」
と、マィンツは言うのだけれど、どうなんだろうね。
どっちにしろ、将来他の村の祭祀を執り行うようになれば、その村の御嶽(オン)の神様にあわせた儀式を行わないといけない。
今はイリキヤアマリの祭祀だけ学んでいるけれど、先々それだけってワケにはいかないのだろうな。
と、いう事は薄々わかった。
そんな朝である。
いつものように朝食を頂くため母屋に入ると、私の顔を見たハーティが手招きする。
「おはようございます。父様。何でしょうか?」
今夜は祭りだから、その心得とかなんか言い出すのかな?とか思ったら違った。
「クィンツ、木綴(キトジ)の一式をウィーギィに渡したのか?」
あれぇ?
ダメだった?
「はい。新しく使えるよう、表面を削って欲しいと、爺に頼みました。」
「…ふむ。そうか。」
ハーティは難しい顔で腕を組んでから、私に横で控えているように命じる。
それから、ウィーギィ爺を呼び出す。
「ウィーギィ。」
「はいハーティ様」
ハーティの前に正座するウィーギィ。
「クィンツから木綴(キトジ)の一式を預かったそうだが。」
「はいその通りです。」
「あれには小刀も含まれていたろう?」
「…はい。ハーティ様。」
「その意味はわかっておろうな。」
あ。
そうか。
私、平和ボケだった。
「もちろんです。ハーティ様。」
「小刀とはいえ、刃(やいば)は刃(やいば)。お前にそれが預けられたというのは、クィンツの信頼の証だ。」
「はい。よくわかっております。」
「ならば良い。クィンツの為に使え。決してクィンツに害を与す事には使わぬ様にな。」
「肝に命じます。」
「うむ。」
この島?…村では、鉄器の普及は、まだ始まったばかり。
メインの刃物といえば、貝を削って磨いた包丁的なモノだ。
一方ハーティから渡された木綴(キトジ)の一式には、小刀が含まれていた。
もちろん鉄製だ。
私にとっては鉄製の小刀なんて当たり前の存在だが、ここでは違う。
オール鉄製の刃(やいば)…価値的にも意味的にも、そこには深いモノがある。
言うなれば、凶器だ。
いや、もちろん、凶器なんて、何だってなる。
石だろうが、棒だろうが、凶器にはなる。
それこそ、貝を削って磨いたモノでさえ、よく切れる。
だが、それらが標準の社会では、鉄製の刃(やいば)は、一つ抜きん出た凶器だ。
言うなれば、元いた世界で、拳銃を渡されたようなものだ。
もちろん、ウィーギィ爺が、その刃(やいば)を私に向けるとは思えない。
思えないけれど、その保証はどこにある?
この世界は、未発展で、原始的で、いうなれば力が全て…でもおかしく無い。
どこぞの世紀末ヒーローが登場しそうな雰囲気がある。
表面的には平和だが、それはこの村をハーティが統治しているからだろう。
そのハーティは、誰がどう見ても鬼である。
筋肉ダルマのごとく風体であり、怒らせたらヤバイのは明白だ。
それが抑止となって、村の平和は保たれている。
当然ハーティの主子(ウフヌン)らは、ハーティの強さ、安定さに信服して忠誠を捧げているんだろう。
だけれど、私にはどうだろうか?
ウィーギィ爺が私に従うのは、ハーティにそう命じられたからだ。
私自身の実力じゃない。
つまり、ウィーギィ爺が私に刃(ヤイバ)を向けない保証とは、ハーティにあるのだ。
『ハーティの意に沿わない事をしたら、ただじゃ済まないぞ。』
今のやりとりは、その再確認に過ぎない。
私はハーティのただのオマケに過ぎない。
だが、ハーティは、ただのオマケである私の価値を高めるために、
『お前にそれが預けられたというのは、クィンツの信頼の証だ。』
と言ったのだ。
私を立ててくれたのだ。
平和ボケして、刃(やいば)を渡す意味を深く考えなかった私をフォローしてくれたのだ。
実にバツが悪い。
もちろん、そんな事は顔には出さないけれど。
「クィンツ様、この爺を信頼し、刃(やいば)をお預け下さった事を、心から感謝申し上げます。この爺、さらなる忠節をお誓い申し上げます。」
ウィーギィ爺が深々と頭を下げてくれた。
こちょばゆい。
頭を下げているが、彼の忠節は私ではなく、ハーティへのものだ。
まぁ、それは当たり前といえば、当たり前なんだけれど。
世界をひれ伏せさせるという、私の密やかな野望を考えると、はるかに遠い。
「そろそろ宜しい?今日は早いのですから、とっとと朝食を済ませてしまいましょう。」
と、マィンツが朗らかに声をかけ、食事が運ばれてくる。
うん?
食事の最中、ふと、ハーティの手元がおかしい事に気がつく。
…てか、箸を使っている。
「父様…!」
「うん。」
ハーティが『気がついてくれたか!』というようにニヤっと笑う。
「箸をお使いになるのですか?」
「クィンツが使えるなら、ワシも使うさ。」
と、言った拍子に、摘んでいたご飯がぼろんと落ちる。
ハーティはちょっと気まずそうに、それを指で摘んで口に入れた。
「まだ慣れてないがな。」
とはいえ、案外柔軟性があるな。この人。と、感心してしまう。
この、外見だけでない柔軟性、頭のキレが、主(ウフヌ)として頭角を表す要素なのだろう。
ハーティ、侮り難し。
その一方で、私の方針も決まった。
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