女の子も男の子も/米田

男女平等といいう言葉があります。

 

男性も女性も平等である。

 

それは間違っていないと思います。

 

次に男女の機会平等という言葉があります。

 

男性も女性も平等だから、いろんな機会も同じにすべき。

 

というわけですが、このあたりから怪しくなります。

 

男性も女性も平等なのと、

 

男性と女性の肉体的体力的な差が現実にあるのは違います。

 

妊娠した女性、あるいは妊娠の可能性がある女性に男性並みの過酷な労働を強いるのは、果たして男女平等でしょうか?

 

あるいは男女の機会平等でしょうか?

 

また、女性ゆえの理由でビジネスを離脱したものを、ずっとビジネスをしていた戦線に下駄を履かせて押し戻すのが、男女の機会平等でしょうか?

 

子育ては女性だけがやれというのは違いますが、しかしながら、それでも、子供を産めるのは、現在やはり女性だけです。

 

子供を産むという大きな能力を持っているのですから、それ以外の能力に差異があるのは生物的に当たり前の事です。

 

この生物的な真実をイデオロギーで無視するのが正しい社会なのか?と私は思います。

 

私は生物的な真実を基とした、正しい男女平等を求めますし、また、その上で、男性は男性としての人間的な魅力、女性には女性としての人間的な魅力を切磋琢磨して築いてほしいです。

 

キャバクラとは、そういう場所であることが、理想であると、私は思っています。